岩の博物館

坊主岩竹ヶ島は、「岩の博物館」と言っても過言でないほど、特異な形状を誇る岩が、島の随所に存在します。まず注目すべきが、島の頂上、展望所の真横に在る「頂上石」です。うっすらと生い茂る雑草に包まれてしまうと傍目では見づらい部分もありますが、実はお坊さんが頭に被る笠のごとく、きれいな姿をしています。島の頂点にある石だけに、果たして自然の産物であるかどうかは疑問です。

坊主岩頂上石の北方には、「頂上石」と同等の笠の形をした巨石が上に載せられているように見える「坊主岩」が存在します。その巨石の笠は、真横から見ると巨石本体よりも30cmほど突き出ており、一見、巨石全体の上蓋のような役割をしているようにも見え、その底辺は地面とほぼ水平です。四国の道沿いにあるこの「坊主岩」の場所は、古代、祭祀活動の拠点であった可能性があります。まず、この場所が、島の聖地である竹ヶ島神社奥宮の磐座から見て、その真上に位置することに注目です。海岸沿いの奥宮から急斜面をまっすぐに上り詰めると、この「坊主岩」に辿り着きます。その真下には環状列石のように直径3mほどの円形に連なる石があります。自然に円の形状を成したのか、それとも人の手によって意図的に円を描くように置かれたかは定かではありません。いずれにしても、島の頂上そばであることから、古代の祭祀場としては恰好の位置づけを有する巨石と考えられます。

坊主岩「坊主岩」から四国の道の階段を下り、途中の山道を西方へと進むと、その道沿いに巨大な亀石が見えてきます。一見、何の変哲もない巨石ですが、表面がつるつるの岩がきれいに弧を描き、2連に繋がっていることがわかります。その前方にも巨石が存在し、急斜面の下には無数の小岩が山積みされていることから、岩が伐られた跡地であることがわかります。花崗岩のような岩を伐る場合、古代から近世にかけては幅の広い矢を打ち込んで、岩を割っていました。岩に残された矢の跡を検証することにより、岩が伐られた時代をおよそ推測することができます。竹ヶ島の岩は、その矢の跡からして豊臣秀吉から徳川の時代にかけて伐られたものが多いようです。その後、近代に至るまで島の岩は伐られ続け、島の整備をする際にも伐られた岩は用いられました。

空中岩島の南方、太平洋沿岸には多くの岩が散在し、大小様々な形をした岩をもって島の裾野を形成しています。そこで目を見張るのが、御在所岳の「ゆるぎ岩」と同等の形をした、空中にぎりぎりで支えられている、竹ヶ島の「ゆるぎ岩」です。なぜ竹ヶ島の南岸で、このように空中に支えられているような体裁の巨石が存在するかは、わかりません。これも大自然が成す奇跡の業なのかもしれません。その「ゆるぎ岩」の東方には、木の枝によってがんじがらめに捕獲された「空中石」と、その真下には、木に寄りかかりながら樹木の一部となる「石の板」があります。「空中石」は、岩からはがれた石の表面が樹木によって支えられ、それが枝によって包まれた様相をかもしだすという、大自然の力の結晶です。