島の竹林

大正12年に記された宍喰村史によると、竹ヶ島という名称で呼ばれるようになった所以として、「昔は竹林繁茂斧斤(まさかり)を入れず。故に此称あり」と記されています。竹林が生い茂る島だからこそ、竹の島、竹ヶ島と呼ばれるようになったようです。竹ヶ島の地勢を実際に検証してみると、その根底には広く隆起した岩場が広がり、まさに岩の島である様相を極めています。そして面積が0.4km2しかない島でありながら、頂上の標高は約100mということからしても、その斜面はかなり急であることがわかります。

坊主岩竹ヶ島には2つの丘陵があり、それらが南北に繋がることによってひとつの島となることから、その形状はひょうたんのようにも見えます。その繋ぎ目とも言える窪みが島の中心となり、そこに竹林が生い茂っているのです。南北に1km、東西に700mほどの大きさの竹ヶ島において、竹林が茂っているエリアは、島の中心部分100m四方もありません。美しい竹林が見事に生い茂っている箇所は、実際には50m四方ほどの部分に限られています。それでも、中心部竹林の竹の太さや容姿は見事であり、島を訪れる人に感動を呼び起こします。

竹ヶ島の南部から東方の太平洋岸にかけては岩場が広がり、周辺は大小無数の岩石によって囲まれています。そして島内でも随所に岩石が露出しており、高低差の激しい太平洋に浮かぶ離島であることからしても、この小さな島の中心地にのみ竹林が自然に生い茂る可能性は極めて低いはずです。その島のど真ん中に竹林が蔽い茂っている訳ですから不思議としか言いようがありません。

坊主岩もしかすると、竹ヶ島の竹林は、古代、人の手によって植え付けられた可能性があります。竹林が島の中心地にのみ生い茂っていること、竹が自然には生えにくい南海の孤島にて竹林となるまで豊かに生えているということ、竹林の西方にはビシャゴ磯に向けて島中心部からの水の放流経路があること、そして竹林の南北には方角の指標となるような頂上石や方角石と考えられる石の存在があることからしても、竹ヶ島の竹林は、何かしら古代の英知が働いた結果、きちんとしたマスタープランに従って植林された可能性が考えられます。竹ヶ島のロマンは、竹、そのものに尽きます。